Year: 2011
Type: article
Abstract: 本稿はフーコーが『生政治の誕生』で展開した議論を参照し,ネオリベラリズムをアントレプレナー的な主体化をうながす権力として分析するとともに,この権力が作動する条件として,ネオリベラリズムが心理的な暴力を活用する側面に着目する.まずネオリベラリズムを権力ととらえるフーコーの議論から,ネオリベラリズムが主体を自己実現的なアントレプレナーとみなす考え方に立脚している点を明らかにするとともに,アントレプレナー的な主体化にともなうさまざまな問題や困難を指摘する.次にアントレプレナーへのあこがれが,その実現が困難な人々――フリーターなどの不安定な立場の者――にも見られることに着目し,アントレプレナーへの志向がかならずしも実現可能性の客観的な条件に規定されるわけではなく,彼らの現実への不満に根ざしていることを指摘する.最後に,ナオミ・クラインのショック・ドクトリン議論を参照し,この不満(絶望)を生産する権力としてネオリベリズムをとらえなおす.ここからネオリベラリズムの主体が「アントレプレナー」であるとともに「被災者」であることを明らかにし,社会の「心理学化」のもう1つの側面を指摘する.
Source: Japanese Sociological Review
DOI: 10.4057/jsr.61.455
Author: Nozomu SHIBUYA
Institution: Chiba University
Language: English
Topic: Foucault, Power, and Ethics
Subfield: Sociology and Political Science
Field: Social Sciences
Domain: Social Sciences
Open Access status: diamond
OpenAlex ID: W67171971
